Bean to Barのメーカーを作る。
そう決めてから、まずやらなければならなかったのは、チョコレートづくりができるようになることでした。
最初の一歩は、書籍を一通り買い集めることと、チョコレートづくりのワークショップに参加することでした。
幡ヶ谷にあるミニマルのワークショップに参加し、サンフランシスコのダンデライオンチョコレート本社が執筆した書籍を読みながら、必要な機材を集めることから、いとまチョコレートは始まりました。
最初に購入したのは、ウェットグラインダーでした。Amazonで注文すると、届いたのはインドからでした。次に手に入れたのは、Behmorという焙煎機です。ダンデライオンチョコレートも、最初のチョコレートづくりにこの焙煎機を使っていたという話を聞き、自分も同じものを選びました。
普通に生活していて、チョコレートの製造機械なんてどこに売っているかもわからないと思います。ひたすら調べて購入し、海外から届く過剰梱包されて異国の匂いがする機械は、新しいことを始めるワクワクに溢れていました。
そこからカカオの生豆を扱う商社を見つけ、豆を仕入れて、見様見真似のチョコレートづくりが始まりました。作業場所は、自宅のキッチンです。途中からは料理を作ることをあきらめ、チョコレートを作るためだけの空間が、そこに広がっていきました。
当然、最初からうまくいくはずもありません。
焙煎時間による味わいの違いを確認するために、数分ずつ焙煎時間の異なるチョコレートを何枚も作らなければなりませんでした。出来上がったチョコレートは、食べて確認するしかありません。これが、意外とつらいものでした。チョコって何キロも食べられないんです。何もわからないところから始めているので、失敗も数え切れないほどありました。
思い通りのチョコレートを作れるようになるまで、なんだかんだで2年近くかかりました。これが本当に商売になるのか、その頃はまだ先の見えない試行錯誤の日々です。
正直言ってこのプレッシャーは、サラリーマンをしていた頃には考えられないものでした。頼んでいないのに「白州でクラフトチョコは難しいと思います」なんてアドバイスしてくれる人もいました。
最初は少量のチョコを作るのにも大変な作業量で、これを仕事にするのは無理かもと思いました。でも、試作の後半になると、世にあるビーントゥバーのチョコと比べて見劣りしない、むしろ他より個性のあるチョコが作れるようになってきます。これは伝え方次第では商売になるかもしれない、と思えた瞬間でした。
クオリティを早く上げてビジネスにしなければ、というプレッシャーは、サラリーマン時代には考えられないものでした。それでも同時に、新しいことに挑戦する高揚感に満ちた時間でもありました。
あの頃、キッチンで格闘していたチョコレートが、今のいとまにつながっています。
次回は、初めて人前でチョコレートを売った日の話をします。